GIMOTAN~about this worid~

我々が生きているこの世界を、少しずつ明らかにしていきたい。

エックハルトの顔を見て

(思考のスケッチ) 

高機能自閉症の人は独特の顔つきをしていると思う
俺も高IQの高記憶力の高機能自閉症だが 
正直、顔はうなぎに似ている 

エックハルトも典型的な高機能自閉症の顔に見える(もちろんあくまで個人的な印象である)

ところで、高機能自閉症者は定型発達者と違い 
人が普通に感じ取れる他者の存在や空気感を感じ取れない 
よって慢性的な孤独感を抱えることになる(私自身もそうである)


一方で脳の自閉度が高いために 
強いこだわりや嗜好で好奇心を駆り立てて知識や経験を大量に 
脳内へと吸収消化してゆく 
それを用いて作った自分の世界観や感覚を絶対視して 
独自の体系を示しそれを他者へ伝えることで 
自分の中の慢性的な孤独感を癒そうとする 

(IQと記憶力が高いほど複雑で巨大な体系を作れる)

いわゆる聖人はほぼ全員が高機能自閉症の類です 
IQと記憶力の非常に高いタイプの高機能自閉症です 
世界の似姿を自分の脳内に作り上げるのです 
それがそれぞれの宗教や思想です 

しかしそれは世界そのものとは何の関わりもありません 
それはゲームソフトの開発に似ています 
人がシムシティを開発してプレイしても 
世界そのものと直接のつながりはないのです 

そこに直接的な何かがあると信じたいのは 
実は死や無意味を恐れる気持ちから来る「願望」です 

人が死や加齢や病や醜さや腐敗を恐れるのは 
その恐れる属性があったからこそ数十億年の自然淘汰の中で生き延びてこれたからです 
つまり進化の結果です 
遺伝子に意思はなく、全ては突然変異と自然淘汰です 

ある時点で人には意識という属性が備わりました 
それまで絶滅を免れしめてきた様々な感覚や思考の属性を土台にして 
人間は精神文化を築き上げて来ました 
人は美の極致に宇宙の根源があると信じたりしますが 
根源なぞありません 

美醜の感覚は、あくまでも有害なものや腐敗したものや危険なものから離れるように仕向ける 
感覚の属性であり 
それによって生物及び人類は絶滅をまぬがれてきたところのものです 
感覚とはあくまでそのようなもので 
それを土台に人間が精神活動を文化として展開しているだけです 

美しいものを見れば健康になる 
これはあるかもしれません 
美しいものは他の面でも優れている 
これもたまにみられます 

美しいものには神性がある 
これは全く違います 
美と神性は全く関係がありません 

ていうか神性なぞありません 
あるのはこの世界あるのみです 
そしてこの世界の創造の秘密は永遠に謎のままです 

ただ我々はいわゆる幸福を追求することはできます 
それは健康であったり共感であったり達成であったり諦念であったりします 
しかしそれが宇宙の根源を悟ることではありません 
残念ながら我々は悟れません 
そのようには作られていないからです 
我々はこの世界の規格には関われません一切 
我々は幸福を追求することまでしかできません 
悟りというのは感覚の鋭い高機能自閉症者が脳内に作り上げた 
感覚の構築物でいわば幻想です 
それは宇宙の根源とは無関係です 
しかし幸福とは関係しているかもしれませんね 

小説・見えざるもの その一

 2011年の震災から、10年の歳月が過ぎた。被災地では再開発が進み、かつて津波に押し流された地域には、今や新しい街並みが立ち並んでいた。初めの頃こそ、除染の杜撰さや、野放図な復興プランへの批判があったが、一旦事が進み始めると、人々は新たな仕事、新たな住まいを求めて殺到していった。依然として原発の廃炉作業は続いていたが、もはや周辺地域の放射線の影響は低くなったとされ、移住先から帰還する者も増えていた。それどころか、先だって第三原発の建設計画が持ち上がり、最新鋭の絶対安全システムとしてアピールされていた。あの原発事故のリベンジをするのだと関係者の鼻息は荒かった。

 恐れられていた震災後の巨大な余震もなく、70%の確率とも言われた首都圏直下地震も起こらず、2021年の正月を迎えた日本国民は、安穏な国土を取り戻した喜びを噛みしめていた。

宇宙人に会いたい

いままでも、漠然とは思ってきたことですが、宇宙人に会いたいという思いが、強烈になってきました。きっかけは、12光年先に地球と同じく水が存在しうる惑星が発見されたという報道です。でも、私が生きてるあいだは無理だろうな。宇宙に生命体が地球人だけというのはありえないから、どこかに宇宙人はいるんだろうけど、会ってみたいなぁ。

本当はみんな放射能が怖い

日本人が一番たくさん住んでいる関東一円を、実際に放射性プルームが通過し、誰かは特定しようもないが、大量の人間がそれを吸ってしまった。内部被曝してしまった。これはまぎれもない事実である。一体誰が、こんなことを受け入れられるだろうか。反応は大きく二つに分かれた。直視して恐怖に包まれるか、目をそらして恐怖を回避するかである。この結果も、至極当然なことだったろう。誰が現実に起こった破局を、簡単に受け入れられるだろうか。東京に放射性物質が降り注いだ事実。吸い込んだのは自分かもしれない。こんなこと、誰が信じたいだろうか。人間は信じたくないことは、よほどのことがない限り信じようとはしないものなのだ。幸い放射能は目に見えない。目をそらすには好都合である。本当はみんな放射能が怖いのだ。

福島第一原発の事故後処理は誰が行っているのか

ふと疑問に思ったのですが、原子炉が破壊されて放射能汚染の激しい事故後の施設で、日々作業に従事している人たちは、どのような人たちなのか。

どこにいるどのような人々が集められて現場に送り込まれているのか。被曝する労働は、被曝限度が有り、累積被曝量が上限に達すればそれ以上働くことはできないらしいのですが、そうなると一定期間をすぎれば解雇されるということなのか。

とりあえず、ふと疑問を持ったので、メモとして書き留めておきます。